「今という社会を生き抜くために必要なのは情報収集力よりも自分で考える力ではないか?」
自分への問いかけです。
きっかけはこの本。
その中の「常に自分の意見をもって情報にあたる」という章には、かなり考えさせられました。
今回は、ここで考えたことについて、まとめていこうと思います。
常に自分の意見をもって情報にあたる
ビジネス能力を向上させるのは、情報量ではなく、考えることです。
どれだけ考えたかが、ビジネス能力を向上させるのであって、情報量そのものが能力を向上させることはありません。
情報量を増やしても、右から左に情報は抜けていき、頭に残らない、そして、せいぜい手に入れた他人の意見を鵜呑みにするだけなら、意味はありません。
「コンサル一年目が学ぶこと」p.135
ここではビジネス能力の話をしていましたが、僕は社会で生きていく上で、どんな時でも重要な考えのように感じました。
この辺りを少し掘り下げて考えていきたいと思います。
情報を集めることが重要なわけではない
アンテナが高く、より多くの情報を持っている人が、優れた能力をもっているように感じた経験がありませんか?
僕自身、そのように感じた経験があります。
自分の知らない情報を、知識の泉のようなレベルで有している。
そんな人が、すごく優秀な人のように感じられました。
しかし、今になって思うと、持っている情報の量と能力には必ずしも関係があるわけではないように感じるんです。
もちろん、情報を持っていることが、優位に働くことはあるでしょう。
しかし、ただ情報を持っているだけ、ただ情報を集めるだけでは足りないのです。
なぜなら、情報には必ず発信する者の意思が入り込んでいるからです。
ただ単に、情報を集めることを目的にした場合、発信者の意思をそのまま受け取る形で情報をインプットしてしまうことになるでしょう。
そして、それを鵜呑みにして今後生活していくことになります。
果たしてそれで本当に良いのか?
僕は否だと答えたい。
誰かの意思が入り込んだ情報よりも、自分の考えの方が遥かに価値のあるものだからです。
自分の意見をもってはじめて、学びの機会は生まれます。
「コンサル一年目が学ぶこと」p.138
また、ここが大事なのですが、「自分の考えをもつ」ことは、「正解を知っている」こととは違います。
考えは、間違っていてもいいのです。そもそも、間違っていることに気づいたり、他人と考えが違ったりすることを認識するために、考えをもつのですから。
(中略)
それができるようになってくると、次第に、新聞やニュースに違和感を覚えるようになります。「その結論には根拠がない」とか「その分析は一面的だ」とか。
「コンサル一年目が学ぶこと」p.140〜p.141
自分の考えるようになると、情報の中に隠れた発信者の意思が見えるようになってくるでしょう。
「発信者が、なぜそのような情報を発信したがるか」
「発信者が、どのように情報をとらえてほしいと考えているのか」
これらを考えることで、自分が本当に手に入れるべき情報が何か見えてくるでしょう。
さらに、ここで考えた経験も、自分にとって非常に価値のあるものとなるのです。
考えることで情報に価値を与えることができる
情報は、持っているだけではただの情報に過ぎません。
しかし、考えることでそれらの情報からなんらかの価値を生み出すことができるでしょう。
情報は何も生み出さないですが、人は情報を元に何かを生み出すことができます。
それは、ビジネスという形であったり、または他人や自分に役立てるサービスだったり、様々な形として価値となるでしょう。
そこから生まれた価値は、また情報という形で発信され、さらに考えることによって評価となります。
価値というのは、もちろん自分で評価するものでもあり、多くの人から評価されるものです。
多くの人からの評価は、社会からの評価となっていきます。
そしてその評価は、情報という形になり、またも世の中に流れるわけです。
ここで「評価」というのは一つの「価値」として見ることもできるでしょう。
ですから、情報というのは「考える」ことによって「価値」となり、そして「価値」を発信することによって、またも情報としての役割を果たす。
人の考えが情報に価値を与え、さらなる情報を生み出すサイクルとなるのです。
だからこそ、人は考えることをやめてはならないのです。
情報に流されず、自分で考え、価値を生み出していくことで、社会を生き抜いていくことができると僕は考えます。
考えることを忘れてはならない
様々な思惑、考えによって情報は形を変えながら、社会の中でうごめいています。
何の規則性もなく、ただ流れているように思える情報も、何かしらの意思の中で流れているものです。
現代社会において、情報はWebを介して簡単に入手できてしまうもの。
誰かの意思が隠された情報は、どうしようもなく僕たちの生活に関わってきてしまうのです。
だからこそ、そこに紛れこんだ誰かの意思に惑わされることなく、自分の考えでその価値を見極めなくてはなりません。
そのような考える力こそが、今を生きる上で本当に必要なことではないかと思います。