最近、研究や就職活動に追われております。
さらにブログも頑張りたいという強欲さ。
いやあ、正直疲れてしまいますよね。
というか、疲れました。はい。
この原因ですけど、周りに影響されすぎていたことにあったんですよね。
もっと頑張らなきゃって、色々考えてしまっていたようです。
少しでも意識を高く持っていないと、置いていかれる気がして。
けど、そんなことはないって今はしっかり認識しています。
今日はそんな話です。
周りのことを見過ぎていた自分
僕は、かなり人からの影響を受けてしまうタイプです。
人から影響を受けない人なんていないとは思いますが。
それはさておき、今回はそれが良くない方向に働いてしまっていました。
例えば、就職活動に関して。
周りの人達は、たくさんの企業の説明会に行ったり、インターンに行ったり、多くの企業にエントリーしていたり。
就職活動は重要なことだし、それだけ力を入れているんだと思います。
そんな光景を見て、僕は多少焦りを感じていました。
僕自身は、きちんと行きたい企業をいくつかに絞って、そこに力を入れるという方針を決めていたんです。
けど、僕の周りの考えとは少し違っていて、人と違うってのは割と怖いものなんですよね。
だからこそ、失敗できないという重圧を感じたり、周りが頑張っているんだから自分ももっとやらなきゃ、とか考えてしまっていました。
けど、実際にはそんなことを考える必要はなかったんですね。
自分は自分。他人は他人。
周りの人が何社も受けている間に、自分はより絞り込んだ企業のことを深く考えて、対策することができるわけですから、問題はないわけです。
自分のペースで、自分のやりたいようにやればよかったのです。
そんな風に考えられるようになったのは、疲れてしまった後で自分を客観的に見ることができたからかなと思います。
意識を高くしようという罠
周りの影響を受け、それが悪い方向に向いてしまったのは、意識を高くしなきゃと気を張りすぎてしまったせいでした。
「成功している人たちはみんなやってきたことだから、やらなきゃダメだろう」
「これくらいは当然やるよね。やらなきゃそれはダメだよね」
「こんなこともできないの?」
言ってくることとか、自信に満ちた感じとか(自分を奮い立たせているだけかもしれないが)すごいことだと思うし、僕自身もその言葉をかなり真に受けてきた人間です。
けど、少し考えて欲しいんです。
「成功している人たちはみんなやってきたことだから、やらなきゃダメだろう」
→ 成功している人は自分ではない。自分には自分の能力がある
「これくらいは当然やるよね。やらなきゃそれはダメだよね」
→ それは何が基準なの?何が目的なの?
「こんなこともできないの?」
→ できない
って話ですよね。
結局、自分には自分の能力というものがあります。
能力を伸ばせと言われても急に伸びるものでもありません。
だから、他人と比べて、無理にそのペースに合わせる必要はないわけです。
もし、そういうペースを合わせるようなことが少し上手くいったとしても、どこかで無理が出てきて崩れてしまいます。
そういうものです。
今の自分より、さらに意識を高く。
そんな、自分の能力・ペースを超えた考え方は、自分をどんどん追い詰めてしまいます。
意識を低く(自分のペースに)する
だからこそ、僕たちは意識を低くすることを考えなくてはなりません。
自分のペースで無理せず物事に取り組むというだけのことですが。
しかし、これこそが本質であると思うのです。
自己啓発本やWeb上の記事で語られる、もっと意識を高く、ということに引っ張られる必要はありません。
僕自身、そのような本や記事を読むのは好きですが、全てを鵜呑みにする必要はないように思います。
今の自分より遥か高い目標を目指して頑張らねばならない場合が、非常に多いですから。
今の自分より遥か高い目標を見てどうだ、という話をするのは、あまりにも現実を見ていない面が大きいように思えます。
それよりも、今の自分の立つ場所で何か楽しさや成長できることを探すことの方がずっと貴重なことでしょう。
そんな中で見つけた何か、というのは今の自分にとって大切なことなんですから。
今の自分をもっと大切にしたいですね。
まとめ
今回は、意識を低くすることで自分のペースを保ち、そしてそれが自分の成長につながる、という話をしました。
無理をし、強がっていても、それはいつか崩れてしまうものです。
自分のペースで無理せずやっていきましょう。
そこには、自分の成長につながる何かが落ちているはずですから。