いつ俺〜いつから俺ができないと錯覚していた?〜

社会人ブロガー。大手メーカーでソフトウェア開発をしている人。プログラミングは結構得意。

子供の頃に苦手だった逆上がりの経験から考える人生をちょっぴり素敵にする方法

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僕は運動が苦手だった。

というか、今も苦手である。

 

そんなコンプレックスを抱えているからか、ふと運動のことを調べたくなり、そしてこの記事に出会った。

 

www.shoichikasuo.com

 

この記事を読み、僕自身も逆上がりが苦手で悩んでいた時のことを思い出した。

今回は、そんな経験から考えたことについて話をさせてほしい。

 

逆上がりができるようになって思ったこと

小学生時代のことである。

運動が苦手だった僕は、体育の授業が嫌いだった。

体も小さく力もなかったので、走ることも、跳ぶことも、ボールを投げることもすごく苦手だった。

けど、それはまだよかった。

 

走るのが遅くても、その時限りで終わり。

高く飛べなくても、その時限りで終わり。

ボールが遠くまで投げられなくても、その時限りで終わり。

 

これなら、自分へのダメージはそれほどなかった。

 

けど、「逆上がり」だけは、他とは違った。

逆上がりのテストを、できるようになるまで毎回授業でやらされたのだ。

逆上がりなら、力とかはほとんど関係ないし、僕にでもできるのではないかと思っていたのだが、そううまくはいかなかった。

力のあるなしに関係なく、僕の運動神経そのものが、あまりよくなかったのだろう。

結局、僕はクラスの男子の中で逆上がりのできない最後の2人まで残ってしまった。

 

毎回テストはされるし、できない度に恥ずかしい気持ちになるし、悔しい思いもした。

正直に言ってかなり辛かった。

 

僕は早くこの辛い状況から抜け出したいと思い、放課後にも練習するようになった。

しかし、なかなか上達はしなかった。

結局気づけば、僕はクラスの男子でただ1人の「逆上がりができないやつ」になっていた。

 

僕はそれでも練習を続けた。

そしてある日、ついに逆上がりを成功させることができたんだ。

 

その時は、そりゃあもう嬉しかったよ。

 

ただ、少し時間が経つと、

 

「もうクラスの他の子からできないやつ扱いされなくて済むんだ」

「もう逆上がりの練習をしないでいいんだ」

 

という、解放されたことへの喜びだったんだな、と気づいてしまった。

その時の気持ちを思い出すと、「虚しい」という感情がちょうど合っているように思う。

 

辛いことを乗り越えた後に残った虚しさ

おそらく、これは逆上がりができるようになったからといって、自分へのプラスがなかったからこそ、虚しかったんだと思う。

そこに至るまでに、とてつもないマイナスが積み重なっていたから余計にだ

 

これを思い出して、今までやってきたことの中で、辛いことを乗り越えて、心の底から喜んだことってあったかな?って思ってしまった。

基本的に楽しさや嬉しさを感じる中に、辛いことが紛れている分には、乗り越えた時にまた楽しい時間がやってくるわけだから、嬉しさも感じるだろう。

しかし、苦しさや辛さしか感じない中で、最後に喜びを見出すことができるのか。

非常に疑問に感じた。

 

では、これが得意なことだったならどうだろうか?

 

得意を伸ばす方が遥かに効果が高いのではないか

得意なことというのは、それなりに楽しんでできるものだ。

それに取り組んだ方が、自分の成長が望みやすい。

 

苦手なことは、マイナススタートでプラスまでもっていくのも大変だ。

得意なことは、プラススタートであり、さらに伸ばすことで優れた結果を残すこともできる。

 

得意なことをする方が、効果が高いのではないか?

 

そう考えたのちに、少し違うなと思ってしまった

効果が高い、低い、というのがそもそも違うような気がした。

 

どんなことでも、最終的にやってよかったと思えることが、自分の人生にとって価値のあることなんじゃないか

そう思った。

 

結局大事なのは好きになること

やってよかったと思えることが、ゴールにあるとしよう。

なら、結局大事なのは、やっていることを好きになることであるはずだ。

 

僕自身は、「好きこそ物の上手なれ」というのは、あまり信用できる言葉ではないと思っている。

けど、好きなことをやるというのは、それだけで自分にとってプラスだとは思う。

 

だからこそ、何か物事に取り組む時には、そのことを好きになる努力をしたい。

どうしても、つまらなかったり、辛かったりすることの方が、生きていて多い。

そんなことを、少しでも好きになる努力をし、本当に好きになれたら、人生が今よりちょっぴり素敵になるんじゃないかな

 

先に、今までやってきたことの中で、辛いことを乗り越えて、心の底から喜んだことってあったかな?って話をしたけど、そもそもが間違っていた。

そんなどうしようもないことを考えるよりも、そのことを好きになることを考える方がよっぽど価値があるんだ。

 

まとめ

何事も、最後にやってよかったと思えることが、素晴らしいこと。

だからこそ、今自分がやっていることを好きになるように努力したい。

 

多分、小学生の頃の僕は、それができていなかった。

ただ辛いだけになっていた。

 

今、ちゃんと意識し直すことで、今後の人生が今より少し素敵になるんじゃないかなって思う