勉強ができる人だけが知ってるノートの取り方
僕は中学、高専、大学、そして現在の大学院まで色々な講義を受けてきたが、1つ思うことがある。
それは、まわりのノートの取り方は正しいのか?ということである。
今回は勉強ができる人と、できない人を分ける講義中のノートの取り方について話をしたい。
これは「ノートの中身が綺麗にまとめられているのか」という話ではなく、そもそも講義中にどのようなスタンスでノートを取るべきかという話である。
それを理解した上でこの後の話を読んでほしい。
ノートが復習のためにあるという間違い
そもそも、なぜノートを取る必要があるのか?
「ノートを復習に使うためである」
このような回答をする人が多いのではないだろうか。
しかし、ここではっきり言おう。
ノートを取る理由が復習のためだけなら、そんなことをする必要はない!
なぜなら、そのノートよりも教科書の方が正確な情報がまとめられているからである。
だからこそ、後から自分が復習するためだけならノートなど取らず、後から教科書を読めばいいだけの話なのである。
そのことにまずは気づいてほしい。
そして「復習のためだけにノートを取っている」という人は、板書を作業だとしてノートを取っている。
これでは、板書を理解した上でノートに取っているわけではなく、正しく脳にinputできているとは言えない。
脳にinputできていないことを後から復習などできない。
それでは、初めて勉強することと同じであり、復習などではないのである。
究極的にはノートを取る必要はないのか
・板書を見て理解をする
・先生の話を聞いて理解をする
それによってすべてのinputが完了すればノートを取る必要はないのではないか?
このような考えが出てくるようにも思う。
なにせ、復習のために必要な情報は、すでに教科書にあるのだから。
この考えは半分正しい。
残りの半分はoutputにある。
「ノートを取らなくてもoutputができる人」はノートを取る必要がないのである。
例えば、概念をinputしきってしまって、問題を解くという形でoutputするのであれば、ノートを取ることの重要性は低くなる。
また、自分の理解した概念を他人に説明する、という形でoutputするのであれば、これもノートを取ることの重要性は低いだろう。
基本的に、ノートを取る行為はoutputであるはずだから、それに代わるoutputの方法があるのならノートを取る必要はないのである。
それでもノートを取る理由
outputの形が他にあるのならノートを取る必要はないという話をした。
しかし、僕を含めたほとんどの学生がノートを取っているのが現状である。
それは日本の教育が、講義という形式を取っていることが原因となっている。
講義では、教師が用意してきた内容を話ながら板書をし、それを学生が聞きながら受けるという形になる。
この形式では、inputをしながらoutputをするために、ノートを取るしかない。
講義の後でoutputすればよいのでは?という意見もあるがそれは厳しい。
例えば、大学の講義の時間は90分あり、その内容を聞いて理解しinputを終わらせ、そのinputした内容を後からすべてoutputする。
そんなことができるとは思えない。
少なくとも僕にはできない。
また、講義と講義の間の時間も長くはないので、outputをすべて行うことができないまま、次にinputを行うことになる。
これではinputした内容が定着しない。
よって、講義中にinputとoutputを両方行うしかないのである。
勉強ができる人のノートの取り方
勉強できる人のノートの取り方は、以下の1点のみに集約されている。
・板書を脳へのinputとし、inputした上でノートへの書き取りをoutputとする
この時のノートの内容は、板書をそのまま写すわけではない。
inputした内容を自分の思ったように書き出すのだ。
このノートは後から復習するために取るのではなく、自分のoutputのために書き取るのである。
言うのは簡単であるが、実行するのは非常に難しい。
最初からできる人はいないので、板書を作業として行わないようにするところから、慣れていくのが良い。
これができるようになれば、講義中に得られる情報量が大幅に上がり、勉強ができるようになるのである。
まとめ
今回は勉強ができる人とそうでない人の講義中のノートの取り方について言及した。
日々の講義で、しっかりと意識すれば確実に効果が出るはずである。
ぜひ今日から始めてほしい。