いつ俺〜いつから俺ができないと錯覚していた?〜

社会人ブロガー。大手メーカーでソフトウェア開発をしている人。プログラミングは結構得意。

無知を恥じる前に知ったかぶりをやめることが大切って話

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僕は大学院生なのですが、新学期が始まり、新しい後輩が研究室に入ってきました。その中で、後輩達には研究について毎日のように教えています。しかし、ここで困ったことが1つあります。それは、「知らないことを知らないと言えない」、「わからないことをわからないと言えない」ことです

 

今回は、無知であることよりも、知ったかぶりをやめることの方が大事、という話をします。

  

知らないことが悪いことではない

まず分かっていただきたいのは、「知らないことが悪いことではない」ということです。その話をしましょう。

 

そもそも、人は知識を持たない状態で生まれます。バカボンのパパみたいに、生まれたばかりの頃から知識を持ち合わせている、なんてことはないのです。そして、人は生活していく中で様々なことを経験し、知識を増やしていきます

 

ということは、そもそも経験していないことは、知ることができないわけです。ですから、「知らないことが悪いこと」という考え方はよくありません。知らないだけで馬鹿にされたり、知らないことを恥ずかしがったりするのはおかしな話です。

 

しかし、ここまで読んだ方の中には、「知らないが許されないこともあるだろ」と思う人もいるでしょう。もちろん、その通りだと僕も思います。ですから、そこについての話をしようと思います。

 

知らないままでもいいと思うのはダメ

僕は、知らないことは悪いことではないが、知らないままでもいいと思うのはダメだと思うんです。

 

世の中には、知らなくてはならないことが多くあります。それらのことを、誰もが最初から知っているわけではなく、自分で、もしくは誰かに教わりながら、学んでいくのです。ですから、最初は知らなくても仕方のないことです。知らないことは、これから学んでいけばいい。それだけの話です。

 

しかし、知らないままでもいいと思ってしまうのは、話が違ってきます。知らないままでいることは、これからの自分にとって価値ある知識を放棄することですし、それが原因で他人に迷惑をかけることも多いでしょう。

 

知らなくてもいいが、知らないことを自覚して学ぶ。これが、とても重要なことになるわけです。

 

知ったかぶりをやめることは大切

知ったかぶりは、知らないままでやり過ごそうとすることです。これは、知らなくてもいいが、知らないことを自覚して学ぶ、ということに反しています。

 

知っているかが問われた時に、知らないことを悪いことや、恥ずかしいことのように感じるのでしょう。しかし、考えてみてください。そういう場面こそ、絶好の学ぶ機会なのです。そこで、学ぶことで、今後同じ場面に遭遇しても問題なく対処出来るでしょう。

 

知ったかぶりをして話が進んだ時に、結局知らなかったでは話も通じません。また、その場をどうにかやり過ごしても、問題の解決にはなりません。今後同じような場面に出会った時に、またしてもごまかさなくてはいけなくなるだけです。そのようなことが通るほど、社会は甘くないと僕は思います

 

知ったかぶりをすることは、今すぐやめましょう

 

知らないことを教わることは恥ずかしいことではない

仕事や研究、学業などをしている中で、知らないことなどを問われる場面はたくさんあると思います。話をしている相手は、僕たちが知っていれば話を進めやすいとは思うでしょうし、知らなければ教えてから話を進めようと思うでしょう。

 

もちろん、限度はあります。きちんと勉強していれば知っているであろう、最低限度の知識は事前に学んでいるべきです

 

その上で、知らないことを教わるというのは、相手にとっても今後の話を進めやすくする意味で、価値があることなのです。ですから、恥ずかしがることではありません。

 

特に、完全に専門外の話をしなくてはいけない場面などでは、相手から教わることが多いでしょう。確かに、自分がその話をするために、学んでおくべきことはあります。そこをきちんと勉強してきていれば、相手にもちゃんと伝わりますし、無下に扱われることも少ないと思います。

 

まとめ

今回は、知ったかぶりはやめた方がいい、という話をしました。知らないことよりも、知らないままでいることの方が問題です。これから先の自分のためにも、知らないことはその場できちんと学んでいきましょう。