生きていく中で、誰しも大変だったり、キツかったりすることはあると思う。
投げ出してしまいたくなることだってある。
そんな中で生きていくために、必要だと感じた「選択力」と「意思力」の話をしたい。
人生は選択の連続
僕たちは生きている中で、様々な選択をせまられる。
それは小さな選択であったり、大きな選択であったりするが、そのどれもが今の自分を形成する大切な選択となっている。
しかしながら、その選択を他人に委ねてしまっている人が多いように思う。
例えば、僕の学校の同級生に「電気系の勉強をしているから電気メーカーに就職するものだ」として、そもそも他の業界に目を向けようとしない人がいる。
それはそういう狭まった考え方をしてしまうというのが半分。
残りの半分は、今までと違う選択をするのが怖い、ということがあるのだろう。
誰かの決めたレールの上を歩く方が楽なんだ。
「自分が今まで勉強してきたことが無駄になるのでは?」
→僕たちはまだ学生であって、今勉強していることが全てではない。むしろ今までのことが世の中に出て役立つなんて限らない。
「今までやってきたことを考えたらこれが普通だ」
→普通って何?選択することを放棄してしまっているだけでは?
僕はこんな風に思ってしまうんだ。
他人と違ったっていい。自分で選択したことなら
結局みんなは、まわりと違う自分になってしまうのが怖いんだ。
他人と違うことがよくないことだと思っているんだ。
けど、そんなことはない。
自分の思いを貫いた先にある何かはとっても素敵なことじゃん。
素晴らしいことじゃん。
だから他人と違ったっていいんだ。
自分でちゃんと選択して決めたことならいいんだ。
だから、誰かに言われたからとか、そんなつまらないことのせいで自分の選択を曲げて欲しくない。
変わることが悪いことなんじゃなくて、自分の選択で変わっていって欲しい。
大事なのは、自分で選択するってこと。
他人と違う選択するためには強い意思がいる
けど、やっぱり自分が他人と違うことをしているっていうのは、結構勇気がいることだ。
誰かが決めてくれた道を歩いているわけでもなく、誰かと一緒に歩いているわけでもなく、その道を歩くのは自分一人。
それってすごく孤独で、すごく辛いこと。
だからこそ、意思力がいる。
それを乗り切るだけの意思力がいるんだ。
未来は可能性に満ち溢れている
それぞれが、それぞれの意思で選択し、行動していったら、もっともっと世界は輝くんじゃないか。
もっともっと面白い世の中になるんじゃないか。
そう思うんだ。
時代は進み、自分で考える必要ないことが増えていくのかもしれない。
けど、それでも考えることをやめたら、そこが僕たちの進化が終わってしまう時だ。
そんなの僕は嫌だ。
僕は僕の意思で進む道を決めたい。
僕たちの未来は可能性に満ち溢れている。
だからこそ、一つ一つをしっかりと選んでいきたい。