いつ俺〜いつから俺ができないと錯覚していた?〜

社会人ブロガー。大手メーカーでソフトウェア開発をしている人。プログラミングは結構得意。

世界のどこかで死んでいる他人のことなんか考えるな

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よく漫画や小説で

 

「お前にとって大切な1人と、お前とは全くの関係のない100人、どちらかだけ助けられるならどちらを助ける?」

 

というような問いがあると思う。

こんな質問を投げかけられたなら、僕は迷わず大切な人を助けると答えるだろう。

今日はそんな僕の想いについて話したい。

 

自分が一番大切である

人は自分のなかで物事の優先順位をつけている。

それは、対人であっても同じである。

何が優先されるかは人それぞれなのかもしれない。

けれど、確かなのは自分が一番大事であるということ。

優先順位のトップには常に自分がいて、その上で家族や、恋人、友人などが次の階層にくる。

 

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恋人や、家族、友人の中にも複雑な優先順位が絡み合っていると思うが、ここではシンプルにこのような構造とした。

それぞれの頭の中で、しっかりと考えてみて欲しい。

誰が本当に大切な人なのかを。

人はどうしても自分で決めた優先順位の高い者のことを考え、行動してしまうのだから。

 

この意見を否定する人もいるかもしれない。

例えば、「恋人を助けて自分が死んでもいい」とか思っている人がいたとしよう。

その人は自分より恋人のことを大切に思っている、つまり優先順位が高いんだという主張をする。

だけど、実際には恋人が死んだ時に傷つく自分を守りたいだけなのである。

自分が死ぬよりも恋人が死んだ時に受ける心のダメージの方が自分にとってキツい、という価値観の持ち主だというだけだ。

 

結局人間は自分のことを考えて生きている。

 

優先順位のつけ方も自分主体で決まっていく。

一緒にいて心地いい人は優先順位が高くなるし、そうでない人は低くなっていくだろう。

自分に何かの利益をくれる人は優先順位が高くなるだろう。

 

正しさは曖昧である

「正しさ」ってすごく曖昧だと思う。

 

そもそも「正しさ」とは誰が決めるものなのか。

「正義」が社会の正しさなら、「正しさ」を決めるのもまた社会なのだろうか。

社会は多数の人間の集合だ。

その中の大多数の流れによって大多数の思う正しさ=「正義」が決定してしまう。

だけど、そんな中にも社会とは違う正しさを信じる人もいる。

結局、正しさは自分の中にあるのではないだろうか。

 

例えば、部活で毎回罵倒を浴びせる顧問と、それをよく思っていない部員がいるとしよう。

ここでの「正義」はおそらく大多数となる部員の、「顧問の罵倒はよくない」という正しさになる。

けれど、顧問の正しさは「厳しくすることで部員が成長する」ということにある。

もしかしたら、「罵倒することで自分がスッキリする」ということかもしれない。

どちらにせよ、顧問の中でその罵倒は正しいことになっているのである。

 

結局「正しさ」を決めるのはそれぞれであって、社会の正しさである「正義」とマッチするかはまた別の問題。

「正義」を重要視して動いていくのは社会であって自分ではない。

人間は自分にとっての正しさをベースに行動を決定するのである。

 

大切な1人と無関係な100人どちらを助けるか

人は、それぞれにとって大切な人、それぞれの正しさをベースにして動く。

だからこそ、この問いはそれぞれの立場になって考えるのがいい。

 

大好きな恋人のいる人なら

「今一緒にデートしている大好きな恋人1人と、周りで買い物をしている人100人のどちらを助ける?」

 

子供がいる人なら

「大切な自分の子供1人と、さっき見かけた幼稚園のバスに乗っている子供100人のどちらを助ける?」

 

そんな自分にとって大切な人と、無関係な人を比べてどちらをとるか。

僕は大切な人を選ぶ。

これは数の問題じゃない。

自分の中で優先すべきこと、正しさがなにかを考えた時に出た結果なんだ。

僕は大切な人よりも無関係な人々を優先した時の自分の姿を想像できなかった。

想像したくなかっただけかもしれないが。

けど、これが僕の正しさ。

僕が信じる正しさなんだ。

 

世界のどこかで死んでいる人のことを考えられるか

今、僕がブログを書いているこの時にも、世界のどこかで死んでいる人がいるかもしれない。

けど、そんな誰かのことを僕は考えられない。

そんな誰かのことを思って悲しくなれない。

だって自分とは無関係だから。

想像できないところにいるから。

 

昨日僕はクリスマスだとはしゃいでいたが、その時にも世界のどこかでは死んでいる人がいたのかもしれない。

けど、そんなことは考えられなかったし、その時僕は自分がやりたいようにして、楽しんでいた。

 

これがもし、自分の大切な人が死んでしまっていたら。

そしたらきっと僕はすごく悲しんでいたと思うし、その人のことで頭がいっぱいだっただろう。

自分に関係あることだから。

 

結局僕は自分のことしか考えられないし、それが正しいんだと思っている。

そんな自分の正しさをいつまでも忘れないでいたい。

 

こう考えた時、僕は自分自身に言い聞かせるように呟いていた。

 

「世界のどこかで死んでいる他人のことなんか考えるな」

 

弱くてちっぽけな僕が、自分を見失わないために。